高山寺について
天空への祈りを後世に引き継ぎ、
誰もが安らげる場所を
護り続ける西叡山高山寺。
西叡山高山寺は、養老二年(718年)宇佐八幡の化身“仁聞菩薩”によって、高山養老寺として開基された六郷満山の本山本寺です。応保二年(1162年)本家職を比叡山に寄進して西叡山高山寺となり、天台宗総本山の比叡山延暦寺、東京上野の山を守護する東叡山寛永寺と並び、日本の三叡山として隆盛を極めました。
往時には四十五の末寺末坊を抱え、学僧修行の山として六郷満山を代表する大寺院でした。時代は移り、江戸初期の火災で焼失し、以後は「幻の寺」と呼ばれていましたが、昭和になってようやく復興を遂げました。現在の本堂は、中野峯夫氏ほか地元有志の方々の尽力により、昭和五十九年に完成。幾多の苦難を乗り越えた千三百年の歴史を持つ天台の古刹。今また釈尊の教えを未来へ引き継ぐことが、高山寺の使命です。合掌
西叡山高山寺 住職 船津大乘
六郷満山とは神仏習合で生まれた
国東半島独自の仏教文化。
六郷満山とは、国東半島の来縄・田染・伊美・国東・武蔵・安岐の六つの郷の谷々で発展をした寺院群のことです。国東半島は宇佐神宮・弥勒寺に伝わった天台宗の実践の場所として、九州では早く仏教が広まった地域で、宇佐・八幡神の影響と厳しい修行を行う山岳宗教が融合して、どこにも無い六郷満山の文化が生まれました。